2009年07月01日

ルーカスらは伝統的なケインズ経済学を批判

ルーカスらは伝統的なケインズ経済学を批判しただけではなく、ミクロ的基礎を持ったマクロ経済学の構築に大きな役割を果たした。ルーカスらの確立した新しいマクロ経済学こそが新しい古典派のマクロ経済学と呼ばれるものである。新しい古典派の流れに位置づけられる経済学者達は、人々の期待を明示的に扱うために合理的な経済主体の最適化行動に厳密に基づいたモデルを用いこれらの経済主体の行動の集計されたものとしてのマクロ経済を分析しようと試みた。その典型が代表的個人モデルである。ところでモデルの背後にある合理的な経済主体の最適化行動は、ミクロ経済学の想定するところである。それ故に新しい古典派のマクロ経済学はミクロ的基礎を持っていると言われるのである。また経済主体が経済構造と整合的な予測行って行動するという合理的期待仮説を強調したため、初期の新しい古典派を合理的期待形成学派と呼ぶこともある。
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加えて新しい古典派は計量経済学を用いモデルを経験的に検証するという手法を重視する。彼らは消費の異時点間での最適化を伴った最適成長モデル(ラムゼイ・モデル)を基に短期の景気循環を説明するモデルとしてリアル・ビジネス・サイクル・モデルを確立したが、同時にモデルから導かれる予測値と現実のデータを比較するカリブレーションを導入した。
他方ケインズ経済学の側でも新しい古典派に対応した動きが見られた。ニュー・ケインジアンのマクロ経済学は新しい古典派のミクロ的な前提条件を受容し、ケインズ経済学にミクロ的な基礎を与えようと新しいモデルを構築してきた。またそれに伴い時間を通じて最適化を図るという意味での合理性を仮定するために、合理的期待仮説をも受け入れた。ニュー・ケインジアンも新しい古典派と同様に経済主体の期待の果たす役割を強調している。その上で名目価格の粘着性などアメリカ・ケインジアンを特徴付ける要素をモデルに盛り込んでいる。


2009年06月13日

銀河団(ぎんがだん、cluster of galaxies)は多数の

銀河団(ぎんがだん、cluster of galaxies)は多数の銀河が互いの重力でまとまっている大規模な集団である。冷たい暗黒物質による階層的構造形成シナリオ(Λ-CDM)に基づくと、ビッグバンによって宇宙が誕生した直後、宇宙の物質密度に場所によってわずかな揺らぎがあったため、この密度揺らぎが次第に成長し、密度の高い部分が重力によって収縮して銀河が生まれたと考えられている。その後、この銀河同士が互いの重力によって集合したものが銀河団であるとされている。銀河団には数十個から数千個の銀河が含まれている。銀河団自身もまた、超銀河団というより大きなスケールの構造の一部となっている。

銀河の集団の中で規模の小さいものは銀河群(ぎんがぐん、group of galaxies)と呼ばれ、銀河団と区別される。
銀河群は銀河の集団の中では最も規模の小さなものである。典型的な銀河群に含まれる銀河はせいぜい50個程度で、銀河群の直径は約2Mpc程度である。銀河群の質量はおよそ1013太陽質量である。銀河群内で個々の銀河は約150km/sの速度で運動している。
アジアの美術
よの付く言葉
スポーツのあゆみ
くの付く言葉
名犬マルチーズ
雨模様
猫ニャン
柴犬について
生命の誕生
りんごのほっぺ
版画
オークション
映画館
射撃
応用数学
トリックアート
証券取引所
乗馬
高血圧症
ゲートボール

我々の銀河系 (天の川銀河)が属している銀河群は局部銀河群と呼ばれ、40個以上の銀河が含まれている。

銀河団は銀河群よりも規模が大きい銀河集団を指す。可視光で観測すると、銀河団は互いの重力によって銀河が引き合っている集団のように見える。しかし、銀河団内の銀河の運動速度は、可視光で見えている銀河同士の重力で束縛されているとするには速すぎる。このことから、銀河団には光では観測できない別の質量成分が存在することが示唆される。X線での観測によって、銀河団の中には膨大な量の銀河団ガスが存在することが明らかになっている。このガスは約108Kという非常に高温のガスで、熱制動放射によってX線を放射している。このガスの総質量は目に見える物質の大半を占める。しかしこのガスの質量を考慮に入れても、銀河と高温ガスを銀河団の中に束縛するのには十分ではない。銀河団の質量・質量分布は長年の間、高温ガスが静水圧平衡にあると仮定して求められていた。このようにして求めた銀河団の総質量は、銀河と銀河間ガスを合わせた質量よりもずっと大きい。この見えない質量成分はダークマターとして知られているが、その正体は不明である。典型的な銀河団では、銀河として存在するのはおそらく全質量の数%程度、X線を放射する高温ガスが約20%に過ぎず、残りはダークマターが占めていると考えられている。

銀河団は通常、以下のような特徴を持つ。

50個から1000個程度の銀河、X線を放射する高温ガス、質量の大半を占めるダークマターから構成される。
銀河団内でのこれらの三成分の質量分布はどれもほぼ同じであると考えられきたが、近年構造形成過程にある銀河団(衝突銀河団)では、銀河・ダークマターと高温ガスの分布が大きくことなっている場合があることが明らかになってきた。
銀河団の全質量は1014?1015太陽質量である。
銀河団の典型的な直径は約4-6Mpcである。
銀河団内の個々の銀河の速度分散は約800?1000km/sである。
銀河団同士の平均距離はおよそ10Mpcである。

主な銀河団 [編集]
おとめ座銀河団
かみのけ座銀河団
うみへび座銀河団

超銀河団 [編集]
詳しくは超銀河団を参照のこと。

銀河群や銀河団やいくつかの孤立した銀河は超銀河団と呼ばれるより大きな構造を形作っている。宇宙での最も大きな空間スケールでは、物質はフィラメント状、あるいはボイドと呼ばれる空洞を取り囲む壁のような構造を作って集まっている。この宇宙の大規模構造は泡に似ているため、泡構造などとも呼ばれる。


2009年06月08日

オカルト(occult)とは元来は「隠されたもの」と

オカルト(occult)とは元来は「隠されたもの」という意味のラテン語に由来する表現であり、目で見たり、触れて感じたりすることのできないことである。そのような知識の探求とそれによって得られた知識体系は「オカルティズム」と呼ばれている。ただし何をもって「オカルト」とするのかについては時代や論者の立場等により見解が異なる。

オカルトは羅: occulereの過去分詞「occulta」(隠されたもの)を語源とする。

この語はヨーロッパにおいては、論敵にレッテルを貼るために使われてきた歴史を持つ。特に正統派を自認している側から、そうではない側をこの名称で呼ぶことが行われた。ただし、その正統派が誰なのかという点は時とともに変遷する。

例えば、アイザック・ニュートンが「万有引力」を提唱した時には同時代の学者たちから“オカルト・フォース”を導入しているとの非難が浴びせられた。だが、その後はニュートンの説のほうが次第に正当との扱いになり、“オカルト”ではなくなり、レッテルを貼っていた側のほうが非正統派となってしまったわけである。またこの事例は自らの理論体系・知識体系がその一部に(万有引力のようにまさしく)「目で見たり触れて感じたりすることのできないこと」を含んでいても、論者自身は通常それを“オカルト”とは呼ばないものであるということも示している。

そもそもこの語がこのような使われ方をする別の理由としては、立場が異なる知識体系の内容はそれがどんなものであれ大抵はとりあえず慣れないうちはひどく意味不明であり、まるで得体の知れないものを扱っているように感じられることから、“隠されたもの”という語があればその語を用いて非難してしまいたくなるという人間の心理上の事情もある。宗教や信仰の分野においてもそのような原理は働いており、自らの信仰体系とは異なるものは即「オカルト」と呼ぶことにもつながる。
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実際、キリスト教が正統派とされていた(あるいは自身でそう自認できた)19世紀のヨーロッパにおいて、いわゆる“正統派キリスト教会”の信仰体系とは異なる信仰体系(異教)が復興してきた時には、それが「オカルト」と呼ばれることになった。

この歴史の影響から「19世紀以降の、正統キリスト教以外の平常の生活から隠された人間の知識を超えた神秘の研究とその結果である神秘主義体系がオカルティズムと呼ばれる」と解されることもある。

もっとも上述の心理的原理により、その後この「オカルト」という語は拡張的に利用されてゆくことになった。後年、自然科学の分野が発展すると、自らを“正統な科学”の担い手と自認する勢力が自らとは異なる手法を「オカルト」と呼ぶことも起きた。今日では伝統宗教からはずれた“異端”宗教、民間宗教、宗教的俗説のようなものに限らず、単に「一般的でない知識」まで「オカルト」と呼ばれることが多い。

日本では、このような知識についての記事が学習研究社の児童用雑誌に掲載され好評であったため、そこからスピンアウトした同社の雑誌『ムー』により人々に広く知られるところとなった。

2009年04月25日

ハトシェプスト

ハトシェプスト女王(Hatshepsut)は、古代エジプト第18王朝5代目のファラオ。在位は、紀元前1479年頃 - 紀元前1458年頃。

父はトトメス1世、母はイアフメス。夫はトトメス2世、娘はネフゥルウラー。

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夫であるトトメス2世は妾腹の息子トトメス3世を次の王にせよと遺言したが、トトメス3世は幼かったため、以後22年間にわたり共治王を務めた。実際には在位中、彼女が絶対的権力を保有していた。公的な場では男装し、あごに付け髭をつけていたと伝えられる。ハトシェプストの意味は「最も高貴なる女性」である。即位名はマアトカラー、意味は「真実とラー神の魂」である。即位については、トトメス3世を無視してプロパガンダを用いファラオの地位まで登りつめるほどの野心家であったと見るか、夫の遺言を守るために幼い息子が成人するまでの「つなぎ」を果たそうとしたと見るか、諸説ある。

治世は穏健で、戦争を好まずに平和外交によってエジプトを繁栄させた。しかし、それは同時にエジプトの国威の低下を招くことになるのだが、トトメスの軍事的功績の基盤を作り上げたという見方もある。死後、その事跡はトトメス3世によって抹消されたという解釈が一般的だが、ザヒ・ハワースによると、ハトシェプストとトトメス3世の仲は良好で、事跡を抹消したのは女性であるハトシェプスト女王がファラオとして君臨したことを快く思わない者たちではないかと発言している。なお旧約聖書「出エジプト記」でモーセをナイル川で拾って育てた義母は彼女とも言われている。

ハトシェプストのミイラ
2007年6月、エジプト考古学庁のザヒ・ハワースは、1903年にハワード・カーターらにより「王家の谷のKV60」と呼ばれる小さな墓で発見された身元不明のミイラをハトシェプスト女王と断定した。

KV60には、棺に入れたミイラと、そのまま横たえられたミイラが2つあり、この状況から1990年までは、このミイラは重要なものであるとは考えられておらず、KV60に葬られたままになっていた。

しかし、ハトシェプストの名が刻まれたカノプス壺(別の場所で1881年に発掘)に入っていた臼歯とミイラの歯茎の穴をCTスキャンしたものが一致し、また既に確定しているハトシェプストの親族のミイラとの間のDNAの類似性が認められたことにより、KV60に葬られたミイラがハトシェプストと判明した。 身長165センチ、太り気味で歯肉炎、関節炎、骨粗鬆症、糖尿病等を患っていた。歯肉炎治療のための抜歯による膿が全身を蝕み、約50歳で亡くなったという。

2009年04月07日

商業音楽との境界

今日、クラシック音楽の流れとしては見なされない他分野の音楽(例えばポップ、ジャズ、ロックなど、主に商業音楽と位置づけられている音楽分野)は、クラシック音楽とは分けて考える認識が一般的である(この定義・問題についての詳細は現代の音楽の項で扱うこととする)。

これら他分野の音楽への現代音楽の影響としては、1960年代後半頃以降、フリー・ジャズやコンテンポラリー・ジャズ、あるいはプログレッシブ・ロック、ノイズミュージックなどのジャンルに影響を与えた。

また先に述べた「マニエリスムの音楽」の一部には、こうした他分野の商業音楽の語法を取り入れた音楽もある。

ドイツ語では、まじめな音楽"Ernste Musik(E-Musik)"と娯楽音楽"Unterhaltungsmusik(U-Musik)"という分類があり、この「まじめな音楽」がクラシック音楽および現代音楽を指す(他民族の音楽においても伝統にのっとった厳粛なものや宮廷音楽などの場合はE-Musikに相当すると考える)。現代においては、主に商業の流通に直接のっとった音楽商業音楽をU-Musikと呼び習わしている。他の国での考え方もほぼこれと同類であると見てよい。日本語では大雑把にいってクラシック音楽が前者(E-Musik)、ポピュラー音楽が後者(U-Musik)に当たる。

ただしこの(ドイツ語を借りれば)E-MusikとU-Musikのいわゆる中間に位置する音楽というものも多数存在する。これらはU-Musikの範疇としては進歩的・先鋭的な立場にあるが、E-Musikの範疇では(一般的な価値観では)扱われない音楽を指す。これらの音楽はアヴァン・ポップ(avant pops)とも呼ばれている。

パブロ・メルクは一時期E-MusikとU-Musikの混血児のような作風に没頭しており、アンリ・プッスールの作品に「E-Musik?それともU-Musik?」という題名の作品がある。
セミ・クラシックと呼ばれる音楽もこれに該当する。この領域の音楽が、最も著作権問題にうるさい音楽になっている。[要出典]

映画音楽 [編集]
映画音楽については、そのほとんどが前項の娯楽音楽に含まれるという認識が一般的だが、現代音楽の作曲家が映画音楽を手がける例もあり、そのうちのいくつかは(その映画作品そのものの芸術的・先鋭的な姿勢に呼応して)先鋭的な音楽をつける場合がある。こうした音楽は現代音楽と認識される場合がある。こうした例は現代音楽に限らず、トーキー映画が登場した20世紀初頭の近代音楽においても見られる(あるいはサイレント映画の伴奏も含む)。

近代での具体例
映画「アレクサンドル・ネフスキー」監督:セルゲイ・エイゼンシュテイン/音楽:セルゲイ・プロコフィエフ(後に同名のカンタータにまとめた)
映画「美女と野獣」 監督:ジャン・コクトー/音楽:ジョルジュ・オーリック
現代での具体例
映画「怪談」 監督:小林正樹/音楽:武満徹
また、現代音楽の既存の作品が映画のBGMとして流用される場合もある。

具体例
映画「2001年宇宙の旅」 監督:スタンリー・キューブリック/二次使用された音楽:ジェルジ・リゲティ「ルクス・エテルナ」および「アトモスフェール」
現代音楽やそれに近い先鋭的な音楽が当てはめられる映画は、往々にしてホラー映画ほか恐怖を題材とした映画が多く、またホラー映画製作中に最適なBGMや作曲家を求めて現代音楽にたどり着く例もある。「エクソシスト」を監督したウィリアム・フリードキンは、当初予定されていたラロ・シフリンのメロドラマ的な映画音楽を起用せず、プログレッシヴ・ロックと現代音楽の境に位置するマイク・オールドフィールドの「チューブラー・ベルズ」を起用して観客に強い印象を与えた。

現代音楽の作曲家が映画音楽の仕事を手がける場合は、その理由に収入もあるが、演奏会用純音楽ではなかなか実験できない新しいアイデアを、映画音楽において試みる場とすることがある。オーケストレーションの実践であったり、あるいはそれまで作曲家にとって使ったことのない楽器や音響技術を試みる場合もある。

日本での例では伊福部昭、早坂文雄などの先例に続き、武満徹、池辺晋一郎などが映画音楽に多くかかわっている。武満の例では、琵琶や尺八を最初に用いたのは映画音楽の中であり、その後に代表作「ノヴェンバー・ステップス」など純音楽でも邦楽器を進んで用いるようになった(詳細は武満徹の項を参照)。また映画音楽に限らず、演劇の舞台音楽やテレビ番組(特にドラマやドキュメンタリー番組など)の音楽などを手がける場合もある。珍しい例ではないが、ベルント・アロイス・ツィンマーマンは一時期、収入がそのような音楽の仕事のみになったことがある。

近年のマニエリスムの音楽の作曲家は、映画音楽そのものを純音楽として演奏会で上演する場合も多い。映画用の音楽だから普段の作風とは別にわかりやすいものを作るという考えではなく、もはや映画音楽と自己の純音楽との作風がほとんど大差ないといえる。

具体例
映画「ピアノ・レッスン」 監督:ジェーン・カンピオン /音楽:マイケル・ナイマン(素材を「ピアノ協奏曲」として発表)
映画「クンドゥン」 監督:マーティン・スコセッシ/音楽:フィリップ・グラス
映画「戦場のメリークリスマス」 監督:大島渚 /音楽:坂本龍一
映画「風の谷のナウシカ」以降の宮崎駿監督のアニメ映画/音楽:久石譲(彼はこの仕事の成功により、現在では映画音楽の作曲家としての名声のほうが高い)
映画「レッド・バイオリン」 監督:フランソワ・ジラール/ジョン・コリリアーノ(この曲を素材としてヴァイオリン協奏曲とヴァイオリン独奏のためのカプリスを作曲している)
映画音楽が折衷主義的なポジションを得た最大の要因は、亡命したエーリヒ・ウォルフガング・コルンゴルトがハリウッドで後期ロマン派の様式による音楽を書き続けたことが非常に大きい。彼がこのような仕事をもし引き受けていなかったら、映画音楽はマニエリスムの音楽の巣窟にはならなかったという可能性が指摘されている。カリフォルニアで教鞭をとったアルノルト・シェーンベルクのレッスンを受けた者の多くが、ハリウッドで映画音楽の製作に関わっているのではないかという説があるのは興味深い。原則的に未聴感ではなく既聴感に訴えかける産業がこのような経緯で成立している。

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2009年03月23日

古江線 → 古江西線

旧社名:大隅鉄道
区間:串良 - 古江間
買収:1935年6月1日
改軌:1938年10月10日
鉄道敷設法で規定されていた国分 - 高須 - 志布志 - 福島 - 内海間の予定線と重複したことから買収された。他の鉄道と連絡のない孤立路線で、肝属平野の農作物を鹿児島湾側の高須港や古江港へ運ぶ小路線として機能していた。

買収後は終点の駅名から「古江線」と命名されたが、1936年10月23日に予定線の東端に当たる志布志-東串良間の古江東線が串良駅まで延長した際、路線名を対応させて「古江西線」と改称している。またこの時、孤立状態を解消している。
アマウ クチュール カートゥ ヌクレア ロデックス シフォン サーチ気球 ぎおん ミルキー バルコニー シェア クロモジ ジアス ゲードル じょうそう ドキュメ サクラソウ ハーフ デニム フォトジ ちとせ モンター ローブ レモン パラオ キッチュ マンノ ソテツ 江戸一 フェデ バンデージ スムーズ テレオ ドット ヤマブ チューニン オーダー バックミラ ニョリータ ネベ幸 ボール ニビル ギアシフト がかい あかぼり ビューロ ビロウ バンカ ユーラトム シーディー

改軌は買収時点で既に志布志側から古江東線が開通していたためすぐに着工され、1938年10月10日に完了した。この際、スイッチバックだった鹿屋駅周辺がΩカーブに変更されたほか、鹿児島湾側の部分が何ヶ所も付け替えられた。その後1972年に国分まで延長されて大隅線となったが、1987年に廃止となり現存しない。

油津線 [編集]
旧社名:宮崎県営鉄道飫肥線・宮崎県営軌道
区間:飫肥 - 星倉 - 油津間・星倉 - 大藤間
買収:1935年10月1日
改軌:1941年10月28日(公式には改軌せず廃止)
上の大隅鉄道に同じく、鉄道敷設法で規定されていた国分 - 高須 - 志布志 - 福島 - 内海間の予定線と重複することから買収された。宮崎県営鉄道は南宮崎 - 佐土原 - 妻間の妻線と飫肥 - 星倉 - 油津間の飫肥線の2路線をそれぞれ離れた場所に持っており、両方が買収されているが、そのうち飫肥線が762mm軌間であったため特殊狭軌線となった。また宮崎県営軌道は木材を輸送するための貨物専用線である。両路線とも営林署の軌道以外には連絡を持たず、旅客営業だけを見れば全くの孤立線であった。

買収後は買収前とは逆方向の終点の駅名を取り、鉄道線・軌道線双方を合わせて「油津線」を称した。ただし星倉 - 大藤間は買収前と同じく貨物のみの営業であった。また1937年4月19日には志布志-油津間が開業し、孤立状態から脱した。その代わり、油津駅は油津線の駅とは別駅になり、同線に元からあった油津駅は「元油津駅」と改称した。

改軌は志布志からの路線が油津に到達した後から開始され、太平洋戦争開戦直前の1941年10月28日に完了した。しかし飫肥周辺が東から回り込んでいたのを西から回り込むように変えて東飫肥駅を新しい飫肥駅としたり、星倉-大藤間で酒谷川を渡る部分を北側に移設するなどの大きな経路変更が行われたほか、かなりの部分で新路盤での建設となり、ほとんど新線建設の趣であった。このようなこともあってか、公式には油津線は改軌の扱いではなく路線ごと一旦廃止され、1067mm軌間の新線に切り替えられたという扱いになり、継承路線は存在しないことになっている。

しかし実際には改軌であり、切り替え新線である志布志線が実質的な継承路線となった。のち、1963年にこの区間を含む志布志-北郷間が日南線に編入されたため、現在は日南線の一部となっている。

釜石線→釜石西線 [編集]
旧社名:岩手軽便鉄道
区間:花巻 - 仙人峠間
買収:1936年8月1日
改軌:1950年10月10日
当初は鉄道敷設法にも規定がなく、買収予定のない路線であった。しかし岩手軽便鉄道は花巻から釜石方面への交通路を確保する路線として計画されたものの、技術的問題と資金難から遠野と釜石の間にある難所・仙人峠を越えられずに四苦八苦を続けている状態で、長く政府に救援を求めていた。

この救援要請は一度は無視されたものの、1925年に取締役が貴族院議員に選出され議会に働きかけたことから、1927年に鉄道敷設法に花巻 - 遠野 - 釜石間の予定線が規定され、買収に向かいかけた。ところが今度は鉄道財政の緊縮政策によって買収が立ち消えてしまったため、会社が必死で買収を請願、ようやく買収となったものである。

路線名は当初「釜石線」であったが、1944年に東側の部分、釜石-陸中大橋間が「釜石東線」として開業したために、合わせて「釜石西線」と改称した。

改軌はかなり遅くなって戦時中の工事となり、1943年9月20日に花巻 - 柏木平間が完了。しかし戦争のために一旦中止となり、戦後に持ち越された。戦後はカスリーン台風とアイオン台風のために潰滅的被害を受けた山田線の代替ルートとして早期開通が目指され、1949年12月10日に柏木平 - 遠野間が、1950年10月10日に全線がようやく改軌された。改軌に際し花巻・遠野・平倉周辺が経路切り替えとなり、また仙人峠を越えるために足ヶ瀬-陸中大橋間は完全に新線となった。現在も釜石線の一部として現役である。

改軌が戦後までずれ込んだのは当線のみであり、結果的に国有鉄道最後の特殊狭軌線となった。またわずか1年ほどの間であるが、日本国有鉄道が保有した唯一の特殊狭軌線でもあった。

2009年03月08日

パクス・ブリタニカ

パクス・ブリタニカ(ラテン語:Pax Britannica (パークス・ブリタンニカ))はイギリス帝国の最盛期である19世紀半ばごろから20世紀初頭までの期間を表した言葉。特に「世界の工場」と呼ばれた1850年頃から1870年頃までを指すことも多い。イギリスはこの時期、産業革命による卓抜した経済力と軍事力を背景に、自由貿易や植民地化を情勢に応じて使い分け覇権国家として栄えた。周辺地域での軍事的衝突や砲艦外交による武力行使などはあったものの、ナポレオン戦争や第一次世界大戦の時期に比べれば、特にヨーロッパ中核地域は比較的平和であったことから、ローマ帝国黄金期の「パクス・ロマーナ」にならい「パクス・ブリタニカ(イギリスの平和)」と呼ばれる。

歴史家ホブズボームはフランス革命から第一次世界大戦勃発までの、いわゆる「長い19世紀」を三期に分け、1789年から1848年までを「革命の時代」、1848年から1878年までを「資本の時代」、1878年から1914年までを「帝国の時代」と呼んだ。イギリス帝国の全盛期パクス・ブリタニカはこの区分のうち、「資本の時代」および「帝国の時代」とほぼ重なる。パクス・ブリタニカには厳密な定義があるわけではなく、時期についてはいくつかのヴァリエーションが存在する。一般的にはイギリスが「世界の工場」となった1850年頃に始まるとされ、終わりについては、その地位を失った1870年頃と第一次世界大戦の始まる1914年の二つのパターンがある。またあまり一般的でないが、ナポレオン戦争終了時(1815年)から第一次世界大戦勃発(1914年)まで[1]という広義的な見方もある。

確かに「平和」という点からすると、ナポレオン戦争終結の1815年から第一次世界大戦が始まる1914年という約100年は比較的平和な時期である[2]。しかし、1815年の時点では世界に先駆けて工業化を開始したとはいえ、イギリスもまだ産業革命の途中であり、まだ優位はそれほど顕在化していない。イギリスに最盛期が訪れるのは革命と改革の嵐が過ぎ去った「資本の時代」になってからである。

ひとくちに最盛期といっても1860年代から70年代を挟み、イギリス帝国はその容貌を大きく変えている。1860年以前は自由貿易全盛の時期であったが、1860年代にはヨーロッパ大陸でも工業化が進み、世界の工場としての優位性は次第に失われていった。この時期をパクス・ブリタニカの絶頂とする見解はこの「世界の工場」としての地位を基準としている。とはいうものの、ヨーロッパ市場はドイツなどの保護貿易を採った後発国に席捲されたが、アジア、アフリカなどの市場は依然としてイギリスが支配的であったし、そもそも後発国の工業化はイギリスの金融市場と資金によって成し遂げられたものである。イギリスが「世界の工場」であったのはほんの20年ほどであり、むしろ「世界の銀行」としての役割の方がイギリスにとっては重要であり、19世紀後半のイギリス帝国を牽引するのは製造業ではなく、金融業であったと今日では考えられている[3]。したがって「世界の工場」としての地位が失われた1870年代以降についてもパクス・ブリタニカと呼ぶのも不自然ではない。むしろこの言葉が19世紀末に使われ始めたことを考えると、その頃に顕在化する、帝国という目に見える繁栄の証こそがパクス・ブリタニカの本来のイメージに合致するとも言える。

語源
"pax" はラテン語で「平和」を意味し、"-ica" は英語の "-ic" にあたる接尾辞である[4]。したがって、「パクス・ブリタニカ(Pax Britannica)」の意味は「イギリス(ブリタンニア)の平和」となる。Oxford English Dictionary では、1899年の桂冠詩人による Pax Britannica という詩が最初の使用例とされている。

海軍力
パクス・ブリタニカはナポレオン戦争中に確立されたイギリス海軍の優位性を背景としていた。平時は海賊や奴隷貿易の取り締まりなどが主であるため、常時大艦隊を揃えるというようなことはなかったが、必要とあれば他の列強以上の早さで戦列艦を建造する能力をイギリスは備えていた。特に19世紀末のイギリス海軍整備の基本方針は二国標準(Two-Power Standerd)として知られる。1889年の Naval Defence Act で銘記されたこの原則は、端的に言えば第二位、第三位の国の海軍力を併せたよりも更に大きな海軍力を整備するという方針である。当初、具体的な仮想敵国は伝統的な競争相手であるフランスとロシアを想定していた。1900年頃からフランスとロシアに代わり、ドイツとアメリカが競争相手して現れると建艦競争は激しさを増し、二国標準はたち行かなくなったが公式には1909年まで掲げられた。
キーワ マラガ エンドロ せきがく ゆずりは シリアス パンパ ミント 春紫苑 ヒッピ マスタ ビューロ シーア ネーム たこあし スミス ビリティ ニッパー パンチ メチエ マフラー ガビアル きがん デュープ ナップ キーポイ うぐい ラティーノ テキスト キミと僕 サイトリー バーミュ マティ たいこう トトス フォーク ジンキケロ バランス フラッペ ルネサ シンシティ メリット トーン ファントム ジャングル エレジー タンク タール 光夜宴 プルーフ

対外政策
19世紀のイギリス外交はアメリカ独立戦争、フランス革命戦争、そしてナポレオン戦争の教訓から、「海路の支配」・「戦略地域の安全確保」・「対英同盟の抑止」という三つの原則に則って進められた。

海路の支配
最も重要なのは、エンパイア=ルート(Empire Route) と呼ばれる帝国通商路、つまりエジプトを経由してイギリス(本国)とインド(最重要植民地)を結ぶ航路の確保である。ナイルの海戦とトラファルガーの海戦によって海上でのイギリスの優位は確立されていたが、これをさらに維持・強化する必要があった。交易上の問題だけでなく、兵力の迅速な輸送にも関わったためである。マルタ島、喜望峰、セイロン島など、イギリスにとっての戦略重要地点が戦争中に占領され、ウィーン会議でその領有が認められた。これら交易路上の要地には海軍基地が建設された。エジプトにスエズ運河が出来ると、これもただちに影響下に置いた。

戦略地域の安全確保
ボスポラス・ダーダネルス海峡やイギリス海峡対岸のネーデルラントといった地政学上重要な地域はその安全と中立が課題となった。イギリスと海を挟んだ反対側、現在のベルギーにあたる地域は、喉元に突きつけられた短剣とも言え、歴代のイギリス政府はこの地域の中立化に心血を注いできた。カトリック国のスペインからプロテスタントのオランダが独立する際はそれを支持し、オランダから南部カトリック州が分離するならばフランスの影響下に入ることのないように注意を払った。

対英同盟の抑止
いかにイギリスといえどもアメリカ独立戦争やナポレオン戦争の時のようにヨーロッパの複数の国に連携して対抗されてはいかにも分が悪い。故にイギリスに対して同盟が結ばれたり、単独でイギリスを脅かすような大国がヨーロッパに現れることはなんとしても防がなければならなかった。フランスとロシアが常に警戒の対象となったが、両国を牽制する新勢力として統一されたドイツ帝国が現れたときは歓迎すらされた。

2009年02月19日

フォビドゥンガンダム

フォビドゥンガンダム(Forbidden Gundam)は、テレビアニメ『機動戦士ガンダムSEED』に登場する架空の兵器。

地球連合軍の試作型モビルスーツ(MS)。「フォビドゥン」とは「禁断」、「禁忌」の意。本項では『ガンダムSEED MSV』などのメディアミックス作品に登場する各派生機の概要も記述する。

アズラエル財団傘下の国防連合企業体が、初期GAT-Xシリーズのデータを基に開発した後期GAT-Xシリーズの1機。ブリッツと同系のX200系フレームを採用した特殊戦闘用MS。

敵地への電撃侵攻をコンセプトとしており、実体弾を無力化するトランスフェイズ装甲とビームを屈折、偏向させる特殊兵装「ゲシュマイディッヒ・パンツァー」を装備し、ほぼ無敵に近い防御力を誇る。

本機は、長距離砲撃→突撃→白兵戦という強襲で想定されるステップに合致した装備を搭載している。「フレスベルグ」は長距離での敵の漸減、中距離では「エクツァーン」の速射性能を活かした制圧戦、白兵戦闘では大鎌「ニーズヘグ」を駆使した近接戦闘で敵を確実に撃破する。また、背部の円盤型バックパックを上半身に被る事で高速強襲形態となり、MS形態との使い分けによって突撃→白兵の素早い切り替えを実現している。バックパックは強大な推進力によって大気圏内においても優れた航空能力を発揮する。

武装
誘導プラズマ砲「フレスベルグ」
バックパック先端部に内蔵された高出力ビーム砲。エクツァーン砲身に設置された誘導装置の磁場干渉によって、ビームの軌道を自在に偏向する事が出来る。「フレスベルグ」は北欧神話で伝えられる風を巻き起こす鷲の姿をした巨人「フレズベルク」に由来する。
重刎首鎌(じゅうふんしゅれん)「ニーズヘグ」
格闘戦用の巨大鎌。その刀身にはグレイブヤードからもたらされた特殊精錬技術が用いられていると伝えられる。実体兵器ゆえPS装甲には通用しないが、通常装甲への切れ味は鋭く、オーブ海軍の護衛艦の艦橋を切り落とすほどである。「ニーズヘグ」は北欧神話で伝えられる世界樹ユグドラシルの根を噛む蛇の名「ニーズヘッグ」に由来する。
88mmレールガン「エクツァーン」
バックパック両側に設置された可動式レールガン。「フレスベルグ」の弾道を曲げるための磁場発生器としての役割も持つ。「エクツァーン」はドイツ語で「犬歯」の意。
115mm機関砲「アルムフォイヤー」
両腕内蔵の大口径機関砲。固定火器であるため、他の武装を保持したままでの使用が可能。「アルム」はドイツ語で「腕」、「フォイヤー」は、「火」の意。
75mm対空自動バルカン砲塔システム「イーゲルシュテルン」
連合軍及びオーブ国防軍の戦艦、MSに標準装備される近接防御機関砲。主にミサイル等の迎撃用として使われる。
エネルギー偏向装甲「ゲシュマイディッヒ・パンツァー」
|ブリッツの「ミラージュコロイド」の原理を応用した対ビーム防御システム。バックパック両側の可動装甲の表面に発生させた磁場でビームの粒子を歪曲させ、自機への命中を避ける。あくまで対ビーム用なので実体兵器の歪曲はできない(パンツァー自体をシールドとして用いる事で実体兵器を防御する事は可能)が、TP装甲との併用でほぼ完璧な防御力を発揮する。しかし、至近距離、特に密着状態から放たれたビームを曲げる事は原理的に不可能なため、ビームサーベルの様な接近戦用武装に対する効果は限定される。稼働には大量の電力を消費するが、新型の大容量ジェネレーターとTP装甲採用による省電力化によって、充分実用的な稼働時間を確保している。ビームの屈曲方向はある程度コントロール可能であり、曲げたビームをそのまま敵機に当てるフェイント戦法を取る事が出来る。後に、この技術を応用した全方位軌道戦略砲レクイエムが建造されている。「ゲシュマイディッヒ」はドイツ語で「柔軟な」、「パンツァー」は「装甲」の意。

劇中での活躍
連合軍の強化パイロット「ブーステッドマン」のシャニ・アンドラスが搭乗する。同僚のオルガ・サブナック、クロト・ブエルが搭乗するカラミティ、レイダーと共に、オーブ解放作戦以降、幾度と無くフリーダム、ジャスティスと互角の戦いを繰り広げた。
バース むぐら ティラミス スカーレット テキーラ 吉日 メルルー ももいし 高潔 サーチ花粋 オーラップ フロア ブイヤ マデイラ シュロ コムタン 滝の白糸 西村 ネガ トール いこて ツリフネソ ミドル マインド ビッグ ラット レックス 夾竹桃 キエフ ラクーン ブルガリ チョッパー メンデル バリウ モルガ ピュアコ バグダッド ひおき マイナ トウガラシ なんぽろ ライフボート ルミッ リアダ ステロール ジャスミン 水玉シャツ ジャンボ シプル パスボール

ボアズ攻略戦では、フレスベルグの一撃で複数のジンやゲイツを撃墜する能力を見せている。

第二次ヤキン・ドゥーエ攻防戦において、デュエル、バスターの連携攻撃に立ち向かい、デュエルにフレスベルグを直撃させて撃破したかに見えたが、アサルトシュラウドを排除し機体への破損を免れたデュエルに接近を許し、ビームサーベルでコクピットを貫かれ撃墜された。

フォビドゥンブルー
諸元 フォビドゥンブルー
型式番号 GAT-X255
武装 75mm対空自動バルカン砲塔システム
「イーゲルシュテルン」×2
115mm機関砲「アルムフォイヤー」×2
スーパーキャビテーティング魚雷
キャニスターポッド×2
フォノンメーザー砲
テイルエクステンション
トライデント
搭乗者 ジェーン・ヒューストン 他
『ガンダムSEED MSV』に登場。ザフトのグーンやゾノに対し水中戦で大きく遅れを取っていた連合軍が、フォビドゥンをベースに開発した初の水中戦用MS。

本機は機体そのものに耐圧殻を持たず、耐圧を「ゲシュマイディッヒ・パンツァー」のみに依存している。これはゲシュマイディッヒ・パンツァーの力場によって周囲の水分子に干渉して水圧や抵抗を減免するという機構で、理論上は力場の展開が持続される限り無制限に潜航深度を増す事が可能だが、深海でゲシュマイディッヒ・パンツァーが機能停止すると、水圧により機体が瞬時に圧壊する危険性がある。このためテストパイロットからは「フォビドゥン・コフィン(禁断の棺桶)」と呼ばれた。

武装は水中での戦闘を考慮しており、バックパック先端のフレスベルグをフォノンメーザー砲に換装し、パック両側には超音速スーパーキャビテーティング魚雷ポッドを装備している。 耐圧用の装甲アレイには「ニーズへグ」の刃を片方2つずつ内蔵し、格闘戦において絶大な威力を発揮する。 パック後方の尻尾「テイルエクステンション」は各種レーダー、ソナーを内蔵した複合ユニットで、更にこれを回転させる事で推力を得るプランも存在したが不採用となっている。

ジェーン・ヒューストンらにより試験・開発が進められ、合計4機が製造されている。後に制式機であるディープフォビドゥンの開発ベースとなった。ジェーンの搭乗したフォビドゥンブルーは、ディープフォビドゥンの開発と同時に改修が加えられ、ゲシュマイディッヒ・パンツァーに依存しなくても、かなりの深度における水圧にも耐えられる様になっている。この事で、バッテリーの消耗にも、大きな節約となっている。

ジェーンは本機に搭乗し、ザフト軍水中MS部隊に対して大きな戦果を挙げる。南アメリカ独立戦争において、不得意な陸上戦でエドワード・ハレルソンの搭乗するソードカラミティと交戦した。後に、南アメリカ軍の主力として、地球連合軍のディープフォビドゥン部隊を相手に戦闘を行っている。

ディープフォビドゥン
諸元 ディープフォビドゥン
型式番号 GAT-706S
全高 17.20m
重量 80.40t
装甲材質 チタニウム耐圧殻
エネルギー偏向装甲「ゲシュマイディ
ッヒ・パンツァー」
武装 スーパーキャビテーティング魚雷
キャニスターポッド×2
フォノンメーザー砲
テイルエクステンション
腕部オプションラッチ×2
トライデント
搭乗者 ジェーン・ヒューストン 他
『SEED MSV』に登場。フォビドゥンブルーの実働データを元に製造された水中戦用量産型MS。コクピット周辺にチタン合金製の耐圧殻を採用する事で、試作機の問題点であった緊急時の耐圧性を改善している。

第二次カサブランカ沖海戦において、少数ながらも実戦投入され、ザフトの水中戦用MS部隊を壊滅させる戦果を収めた。この戦闘から、水中戦用MSの戦闘力は地球連合軍の方が上である事が証明され、この一方的な戦果にザフト軍は危機感を抱き、アビス、アッシュの開発に着手した。

フォビドゥンヴォーテクス
諸元 フォビドゥンヴォーテクス
型式番号 GAT-707E
全高 17.47m
装甲材質 トランスフェイズ装甲
チタニウム耐圧殻
エネルギー偏向装甲「ゲシュマイディ
ッヒ・パンツァー」
武装 75mm対空自動バルカン砲塔システム
「イーゲルシュテルン」×2
115mm機関砲「アルムフォイヤー」×2
スーパーキャビテーティング魚雷
キャニスターポッド×2
フォノンメーザー砲
テイルエクステンション
トライデント
重刎首鎌「ニーズヘグ」×4
『機動戦士ガンダムSEED DESTINY』に登場。フォビドゥンブルー直系の量産機として開発された機体であり、ほぼ同一の形状、性能を持つ。装甲はTP装甲に加え、胴体周辺にはディープフォビドゥンからのフィードバック技術であるチタニウム耐圧殻を採用し、潜行深度の向上及び潜水時間の延長が図られている。

ヘブンズベース攻防戦において、反ロゴス同盟軍の水中部隊を圧倒する。しかし、次第に物量に押され、グーンの魚雷やゾノのフォノン・メーザー砲の連携攻撃によって撃破されている。


2009年02月03日

大田原氏(おおたわらし)下野国の豪族、近世大名の名族

大田原氏(おおたわらし)は下野国の豪族、近世大名の名族。
キネテ 紅葉の旅 菊座おり しぼり キューシ チェリー シンボル オートキプ ニース オレン よぶすま ラン タイト フォール オムレツ フーガ グマー ディム ドナルドック かみす ラビ ふじ豆 エッグ エッジボール レプラ タロッ 全国通 タウン ガーネット スイッチ デニム マハラ ロール コロンブス タスク フェーン パツ バルカン スケッチ タロー プレッピ ロッタリ メッキ しとみや スイー ロード ハドロン ゆうじょ テーベ

武蔵七党の丹党の一族である安保氏の分流とされ阿保忠清が大俵氏の初代であると伝承されている。初代とされる大俵忠清は南北朝時代に武蔵国阿保郷にあったというが定かではない。丹治氏は、多治比・丹治比とも表記し、古代の宣化天皇の皇子の末裔であると伝わるこれも定かではない。

また、別に大俵忠清は武蔵国榛沢郡阿保荘(郷ではない)に住んでいたが丹党に参加して、その後に関東平氏の一族と称し、領地の名からまた阿保と名乗ったともいう。

また、その他の説としては平城天皇の皇子であった阿保親王の子で在原姓を賜った在原業平の後胤とするものもある。その説では藤原氏を名乗ったり、丹治氏に復姓したりしているが詳細は定かではない。

大俵氏は、下野国那須地方の大俵に移住したことから大俵と名乗ったとされる。

大俵忠清の子孫は代々、大俵を本拠とし、大俵を称したが大俵胤清の代に大田原に変更したといわれている。

大田原家譜などの諸書によると、康清は「那須氏に仕え、始めて那須に移り、金田村水口城に住し」などと記載があることから室町時代の初頭か前期頃に、大俵康清と名乗る武士が名族那須氏に仕官したことがわかる。大田原氏は康清の時代に那須氏に仕えながら、次第に勢力を拡大し、在地武士たちを家臣団として編成するなどして領主として勢力をつけていったと考えられている。

康清は水口城を築き、大俵氏の基礎を固めたといえる。この水口城は大田原胤清の時代までの五代にわたって大俵氏の本拠として使用されたのである。

戦国時代に入り、康清の子、大田原胤清とその子、大田原資清の時代になると、大田原氏は貪婪な野望を抱くようになる。那須氏が上下に分かれていたが、その上那須氏に仕えて当主、那須資親の信任の厚かったが、それを利用した。資親には実子がなかなか生まれず、致し方なく養子を白河氏から迎えていた。それが那須資永であるが、資親にはその後、実子の那須資久が生まれた。胤清・資清は巧みに、資親に資永が当主の器ではないと讒言し、実子の資久の方が有望で家臣の期待も集まっていると阿諛追従をした。そして、ついに、永正11年(1514年)の夏、資親と養子の資永の関係が悪化すると、資親の遺志と称して、資久を擁する大関氏・伊王野氏・金丸氏・芦野氏などの那須党の有力諸氏を味方にして資永を攻め滅ぼした。しかし、資永の籠もる福原城を攻囲している間に、幼主の那須資久は起死回生を狙った那須資永の放った者によって拉致され福原城へと連れ去られ、城が落ちる際に、惨殺されてしまった。そのため、胤清・資清の幼主を擁して上那須家を牛耳る計画は失敗に終わり、那須氏は上那須氏が滅んだことで下那須氏によって統一されることとなった。

資清はそれでも野心を捨てず、領地拡大を図り、永正15年(1518年)に同じ那須党の福原資安・大関宗増などの不意を衝いて攻撃した。しかし、敗れた。そのため、一時、国許を去ったが、娘を那須政資に嫁がせるなどの工作をしたことが功を奏して、資清は本領に復帰した。その後、政資を篭絡し、大関増次を討ち取り、長男の高増を養子として大関氏の名跡を継がせ大関高増とし、福原氏にも政資の命と称して次男の、資孝を養子としていれて福原資孝として両家を乗っ取ることに成功した。

父、那須政資が大田原氏を偏重することなどから、対立していた那須高資が家督を継いだ。そのため、高資を廃することを大田原氏は計画するようになった。しかし、高資は勇将で、近隣の有力大名の宇都宮尚綱が足利晴氏などと連合して攻め込んできた際も、大田原氏などの援助を得ずに単独で、それを撃破し、尚綱を討ち取るなど活躍した。

資清の死後、その子、大田原綱清は、那須氏の宿敵、宇都宮広綱(尚綱の子)と誼を通じて、勇将の誉れ高い那須高資を千本城にて謀殺。姉の子である那須資胤を那須家の当主にして、専権を振るった。

しかし、その後、成長した那須資胤は、大田原三兄弟(大関高増、福原資孝、大田原綱清)らの専断を憎むようになった。また、大田原三兄弟も那須氏はもはや不要であると考えるようになり、大田原氏は宿敵の佐竹氏と連合して、那須資胤を排斥しようと図った。その結果、那須資胤と大田原三兄弟は合戦に及ぶなど緊迫したが、近隣の佐竹氏や宇都宮氏、芦名氏なども那須領を虎視眈々と狙っている情勢での内部分裂は愚劣であることは明らかだったので、那須資胤の老臣の興野氏(名は不詳)や那須党の有力国人の伊王野氏の意を受けた伊王野氏の老臣稲沢氏(名は不詳)らが会談を持ち、資胤や三兄弟を説得して、ついに和平にこぎつけた。それによって、那須氏は対外的にまとまりを持つことができるようになり、那須資晴の時代には雄飛することができるようになった。

しかし、大田原氏の野望は尽きず、那須党の千本氏を謀略で滅ぼし、その領地を兄弟で分割するなど大田原氏は那須氏の癌であり続けた。

豊臣秀吉が北条氏を攻めると、いち早く、大田原晴清は豊臣秀吉に従い、その領地を保全し、那須氏には時期尚早として秀吉に従うことの非を唱えた。そのため、那須氏は遅参したとされ改易され、大田原氏は那須氏から認められていた領土をそのままに近世大名へと脱皮を果たした。

系図
太線は実子、細線は養子。

胤清

資清
┣━━━┳━━━━┓
綱清 大関高増 福原資孝
┣━━━┓
晴清  増清

政清
┣━━━┳━━━━┓
高清 織田吉清  晴川
│   ┃    ┃
典清  清信   扶清
┃         ┃
純清       友清
         ┃
         庸清
         ┣━━━┓
         光清  愛清
             ┃
             広清
             │
             富清
             ┃
             一清 

新田政義の二男、大舘家氏を祖とする。家氏は上野国新田郡大舘(おおたち)(現在の群馬県太田市大舘町)に住み大舘を名乗った。現在,館跡が史跡として残っている.したがって,秋田県の大館(おおだて)とは関係がなく,読みも,オオタチないしオオダチと読むのが正しい.太平記関係の書物には権威ある人が書いたものでもオオダテとルビがふってあるものが多いがこれは明らかな間違いである.子孫を称する人で,ごく最近になってからオオダテとよませる人もいるがこれも故実的には正しくはない.これも間違い家紋は大中黒か酢漿草紋が新田大舘氏の本来の正式な紋である.

家氏の子宗氏は新田義貞の鎌倉攻めに従い、右軍大将として,東勝寺合戦において極楽寺坂で戦死している。

足利氏と同族の新田氏支族であった所以で、足利尊氏が室町幕府を開くと,宗氏の子,氏明の系統の大舘一族は幕府の要職を務めた。

3代将軍足利義満の親衛隊として組織された五ケ番衆の第五番衆の番頭を務め、幕臣として晴光ら大館一族の多くが奉公衆に所属した。また,八代将軍義政の乳母の「今参りの局」や側室の佐子も大舘氏の出身である.大舘常興は書礼の大家として有名であり,小笠原,伊勢氏とならび室町幕府の故実家として活躍した.その後の,幕府方の大舘氏の去就は不明.大名家などに仕官したり帰農や商人になったものと思われる.

この他に北朝側として残った一派もあり,「上杉禅秀の乱」などにも関東残留新田一党として参戦しているが,その子孫は土着,地侍化し,江戸時代には名主,村役人階級として帰農した.埼玉県南部の大舘氏はこの一派と思われる.

直系の子孫
江戸幕府の大名や旗本に大館氏を名乗る者はいない。しかし足利義昭に仕えた大館晴忠の子である公継・公信・高正の兄弟は母方の姓を名乗り旗本の大草氏として幕府に仕えた。この大草氏は奉公衆の大草氏の末裔である。大草公重の娘が大館晴忠の正室となった。

2009年01月20日

マーチ「春風」(2005年度課題曲)

三澤慶:海へ... 吹奏楽の為に(2006年度課題曲)など
南俊明:マーチ「春風」(2005年度課題曲) など
三善晃:吹奏楽のための「深層の祭」(1988年度課題曲)、吹奏楽のための「クロス・バイ・マーチ」(1992年度課題曲) など
八木澤教司:吹奏楽のための音詩「輝きの海へ」、吹奏楽のための抒情詩「秋風の訴え」、ザ・ウェスト・シンフォニー 、太陽への賛歌?大地の鼓動、古代都市「ペトラ」、空中都市「マチュピチュ」など
和田直也 :魔法の翼で、琥珀の月、オリオンの冒険者たち、リバティー ファンファーレ、追想、パシフィカ など
渡部哲哉 :コンサートマーチ「ジョイフル・ポケット」(2002年度下谷賞優秀賞)、吹奏楽のための舞楽「古都の彩」(2003年度下谷賞佳作)、行進曲「風の音に乗って」(2004年度自由演奏会作曲コンクール最優秀賞)、「オマージュ」〜限りある空の時を〜、「オマージュ」〜潤いは全てに生命を与えた〜、「花柳の舞」〜舞妓たちの光と陰、行進曲「春色の扉」(2006年度下谷賞佳作)など
文中に(〜年度課題曲)とあるのは、当該年度の全日本吹奏楽コンクールの課題曲の意である。
文中に(〜年度下谷賞)とあるのは、当該年度の日本吹奏楽指導者協会(JBA)主催の下谷賞選考会にて選出された「優秀賞」「佳作」の意である。
オーケストラ等の他編成からの編曲作品は、当該項目にて記述すべきものとの主旨に当たらないと考えられることから非掲載とした(演奏会・コンクール等での演奏回数の多寡にはよらない)。尚、作曲者自身による吹奏楽版がある楽曲は掲載する。

代表的な編成

吹奏楽団
吹奏楽団の編成は、各国ごとに違いや特徴がある。ヨーロッパ諸国ではそれぞれの伝統を有し、各々特徴のある編成がなされている。例えば、フランスやイタリアでは、木管楽器の音色を重視した編成がとられている。オーストリアやドイツなどでは、金管楽器を多くして全体に硬く重々しい音色をもつ編成がとられており、例えばロータリー・バルブのフリューゲルホルンやテノールホルン等のを使用する点が特徴である。イギリスでは、民族楽器のバグパイプを主体とした編成が発生し、現在でも軍楽隊などで見ることができる一方、産業革命に伴い金管楽器の製造が盛んになるにつれ、労働者階級の娯楽として金管楽器を中心とした編成(ブリティッシュスタイル・ブラスバンド)が編み出され、現在では独自のレパートリーを有するひとつのジャンルを確立している。アメリカ合衆国では、アメリカ吹奏楽指導者協会(ABA)が編成基準を定め、それに従った編成が進められている。例えばドイツのテノールホルンの代わりにユーフォニアムを用いる等がある。日本では、軍楽隊創立当時、陸軍はフランスから、海軍はイギリス・ドイツから指導者を招いたため、楽器編成・用語・音色などが二通りあって一定しなかったが、社団法人日本吹奏楽指導者協会が標準編成案を発表、これを基準に編成を勧めている。

バンド、ミリタリーバンド、シンフォニックバンド、ウインドアンサンブル、ウインドオーケストラ
ナビイサク シュレッ ながしの ステータス プロト イ短調 スプリ ジスト タープ ルテイン リストア スープ オプティ フェア マグナム プロトン メラノ プロローグ オール アップ ジボソン シュプ チャプチ レット サルコメア シアン ディア ピクチャ オムガイド インソ オーナ アマ ビルダー オペック バック らんこし ブエノス コッヘル フォー シルバー ビジホン たまごいろ パーマ ヒサカ ジャンル ハスキ アリスム 便利に生活 クロス バッファ

英国式ブラスバンド(British brass band)
主にサクソルン属の金管楽器を中心に編成された楽団をいう。英国式ブラスバンドは、四声に分かれたB♭管のソロコルネットと三声に分かれたコルネットを中心に、高音域をE♭管のソプラノコルネットで補う。フリューゲルホルンがコルネットの音色に幅をもたせ、テナーホルン(アルトホルン)とトロンボーンが和声部を受け持つ。バリトンホルンとユーフォニアムが旋律を助け、E♭バスとB♭バスが低音域をささえる。さらに打楽器が加わる。美しく輝きのある響きをもち、オルガンのそれを思わせるものもあれば、驚くほどの超絶技巧や圧倒的な音量までもを持っている。金管楽器主体の編成であることから、指導が比較的容易であるため、アマチュアが手がけやすいといった側面もある。また、救世軍では世界各地にスタッフバンドと称したブラスバンドを置いており、独自の豊富なレパートリーを有している。

ファンファーレ・バンド(Fanfare Band)
金管楽器とサクソフォーンおよび打楽器で編成されている楽団をいう。オランダ・ベルギーを中心に普及している。3声のB♭フリューゲルホルンを中心に、高音域をE♭フリューゲルホルンが補うが、現在ではこのE♭の楽器は、E♭トランペットもしくはE♭コルネットで代用される。サクソフォーンは1声のソプラノ、2声のアルト、1声のテナー、1声のバリトン、の各パートによっているが、オプションとしてバスサクソフォーン等が使用されることもある。この他に、3声のトランペット、4声のフレンチホルン、バリトン、2声のユーフォニアム、E♭もしくはFテューバ、B♭もしくはCテューバ、そして打楽器による。英国式ブラスバンドと響きが似ているが、サクソフォーンとフリューゲルホルンの豊かな響きと細かい動きの特徴を生かした作品が多い。オランダにおいてはファンファーレ・オーケストラという名称の楽団も存在する。